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女性のためのオーガズム教室

presented by ふしだらなペニス

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性教育で何を教えるべきか?(4)

 人生には「オナニーの季節」しかないのなら、性教育は簡単だ。肉体的な快楽のメカニズムを教え、いろいろなオナニーの方法を教えればいい。まあ、それでも、どこまで極めるかは、また大きな問題ではあるけど。

 例えば、お尻の快感まで教えるのか、ドライ・オーガズムまで教えるのか? あるいは、お漏らしオナニーや尿道オナニー、さらには、露出やSMといった快感倍増装置まで教えるのか、という問題も出てくる。
 まあ、現実的には、希望者にだけ、上級テクニック(より変態チックなオナニー)を教える、というので対応はできるかな。もっとも、上のレベルがあると知ったら、皆がもっと上を目指していくことだろう。

 性教育の内容は、「セックスの季節」になると、格段と難しさが増してくる。なぜなら、これって、相手があってのことだからだ。自分自身の問題と、相手自身の問題、それと両者の相性の問題もある。
 デリカシーのあるテクニシャンに出会えれば、予備知識がなくても、めくるめく快楽の世界に導いてもらえるかもしれないが、そうでない相手だと、いくらこちらに知識があっても、不満だけが残る。こうした男女の出会いの機微だけは、いくら教えても、運命的なものもあるので、無理というものだ。

 男の場合、射精という快楽は、手コキであれ、フェラであれ、セックスであれ、ほぼ保障されているので、快楽をどうやって得るかを教える必要はない。では、何をおしえるべきか? もしあるとしたら、相手の女性をいかに気持ちよくさせるか、というテクニックの問題になるのかな。でも、これって、もう完全に性教育というよりも、セックス講座になってしまう。

 女の場合、オナニーをしていれば、オーガズムの快楽そのものは分る。そういう女性はセックスでもイクことができるようになる確率が高い。クリイキはできても、中イキができない、といいう女性もいるだろうが、これは男次第かな。
 問題は、イクというのがよく分からない女性だ。これは、相手をする男にとっても、対応が難しい。イケるようになることもあるし、無理な場合もある。

 従って、快楽の為のセックスを教えるなら、男よりも、女の方に、しっかりと女の体のしくみと、快感の得方を教える必要がある。でも、これって、学校教育で「女の体の快感を開発する」ことになってしまう。これも、寝た子を起こすことになる。それにこれって、女性の相手をする男の楽しみでもあるんだけどな。

 さらに現在は、性の多様性が聲高に叫ばれている。これに対応するなら、セックスを男と女の間の行為と、規定していいのか、という問題も出てくる。そうなると、レズ講座、ゲイ講座、さらにはバイセクシュアル、つまり両刀使いの講座も必要となってくる。こうなると、もう訳が分らなくなってきて、何でもありの、淫乱な世界のオンパレードとなりかねない。

 それはさておき、とりあえずセックスを男女の間の行為、と規定しても、問題は多い。それは快楽を増幅する装置はいくらでも奧が深いからだ。露出や複数、野外、SM、スカトロといくらでもある。非合法とはいえ、ドラッグの世界もある。これらをどこまで教えるか、という問題が出てくる。
 まあ、ここまで教えず、とりあえず世間でいう「ノーマル」な世界に留めておくにしても、どこまで教えるか、という問題は常にある。女性をイカせるにしても、体位は重要だ。では、教えるのは正常位だけにするのか? 女性上位やバックは? さらには駅弁や逆駅弁まで教えるべきか? もうきりが無い。

 もっとも、僕に言わせれば、これも無限に広がる世界という訳でもない。体位を含め、いろいろなテクニックというのは、極めることは可能だ。全て、教えることも可能だ。
 問題はそこにはない。というのも、セックスって、実はもっと肉体と精神の全てを使ったコミュニケーションなのだ。AVの中のオーガズムとは違う。これをどうやって教えるのか? こればかりは、もう感性とデリカシー、言い換えれば、共感能力の問題でもある。これは、教えてできるものでもないのだ。本人の生まれ持ったものと、育った環境と、意識や努力が生み出すものだ。

 本当に気持ちのいいセックスのありかたを教えたいのなら、小手先のテクニックなんかではなく、この感性をどう磨くかを教えるべきだと思う。
 このブログでも、セックスのテクニックも紹介しているけど、セックスのイメージとか、コミュニケーション(言語、及び非言語)、デリカシー、男と女の関係など、いろいろと、テクニック以外のことも書いている。サイト内では、あまりアクセスがないようだけど、実はこの部分が大事だと思っている。

 その意味では、本音で性教育をしたいのなら、このサイトの記事をくまなく読んでもらうことかな。毎回の授業でいくつかの記事を扱い、皆で議論する。そんな授業の教材にしてもらえるのなら、喜んで無償提供するけどね。
 ただ一つだけ、問題がある。それは、このサイトが本音過ぎて、かなりフェチっぽいというか、マニアックな内容になっていることだ。これを教材にすると、セックスのいろいろなことが分ってくるけど、その反面、生徒全員がかなりのフェチになってしまうことかな(笑)。




    posted at 00:00 | セックスとモラル | CM(0)
多くの異性と交わることの意味

 セックスって、肉体的な性器どうしの結合だけでなく、その女性 (もしくは男性) と互いに深いところで結びついていく行為だ。なぜそれをするかは、もちろん、表面的には性欲のなせる技だけど、どうもそれだけではないように思う。やはり、肉体的な快楽を超える何かがそこにあるような気がする。それって、性欲が本能であるのと同じで、はやり人としての本能だと思う。なので、処女や童貞で一生を終ると、一人の異性とも深い結びつきがないままに一生を終えてしまうことになる。これって、なんか悲しいものがある。

 もちろん、単にセックスするだけでは深い結びつきにはならない。互いに体と心を開き、快楽を与え合い、奪い合ってはじめて得られる境地に到達しないといけない。誰とのセックスであれ、射精というオーガズムが保障されている男と違い、女性の場合は特にオーガズムを与えられるセックスが大前提となる。イカせてもらえなければ、ある意味、肉体を男の快楽のために貸し出しているのと大差なくなる。

 そして女性の場合、与えられたオーガズムが深ければ深いほど、オーガズムの回数が多ければ多いほど、男性との結びつきも深くなる。精液や愛液、さらにはおしっこなど、互いの体液を体内に取り込む行為も、より絆を深めるものとなる。男は自分の精液を飲んでくれた女を忘れないように、女も自分のおしっこを飲んでくれた男を忘れないものだ。

 従って、職業的に男性に体を開く女性とか、AV男優などは、1000人を超える異性とセックスを繰り返していても、必ずしも深い結びつきにはならないと思う。時には、その過去が重荷となってしまう事もあるかも知れない。それほどまでに、セックスって、例え愛情がなくとも、体と心に記憶されるものなのだ。

 もちろん、男女の間の結びつきは、セックスの回数だけではないし、深いオーガズムだけでもない。最大の絆は子供を産むことであろうが、愛情や快楽を伴わない妊娠、出産もあることを考えると、オーガズムをともなうセックスはまた次元が違う世界のような気がする。

 この何かを求めて、男と女は体力と性欲が続く限り、セックスを求める。そのベクトルは、一人に向う場合もあるだろうが、往々にして、より多くの異性と体験してみたい、より多くの異性と深い結びつきになりたい、というベクトルに向うものだ。
 これって、果たして道徳的にいいことなのか、悪いことなのか?もしこれを本能とするなら、道徳的な判断をすること自体が、間違っていることになる。単なる好みの問題なのか、経済力や体力の関係に過ぎないのか?

 より多くの異性と結びつきたいという傾向は、特に男に強いような気がする。これって、どうやら生理的な男の性欲の強さからきているようだ。とりわけ、「英雄色を好む」 ではないが、力のある男は多くの女性とセックスする機会があり、多くの女性に種付けをする。セックスの強い男は、絶倫と呼ばれ、男女とも憧れの対象となる。

 対して、女性がより多くの男とのセックスを求めていくと、「淫乱」 とか、今の言葉では 「ビッチ」 と言われてしまう。これって、確かに不公平ではある。おそらく、文化的に女性を性的に閉じ込めてきたのかも知れない。
 だとすると、女性の性の 「解放」 は、女性も男性と同様、より多くの異性とのセックスを求めるようになるのかも知れない。少なくとも、そういう生き方を選択しても、非難されない時代がくるかも知れない。そんな時代になった時、男と女の関係はきっと今とは違ったものになることだけは確かな気がする。




    posted at 00:00 | セックスとモラル | CM(0)
女の浮気・男の浮気

 男女とも、浮気のセックスをした経験のある人なら、その時のパートナーへの罪悪感、自分の良心への背徳感、そしてそれゆえの興奮というのを味わっているものだ。これは相手のことを本気で好きなほど、強烈なものとなる。

 男の場合、他の女のおまんこに顔を埋め、舐め回している段階では、それほどの罪悪感はないかな。キスの延長みたいなもの、と自分にいいきかせている感じかな。
 しかし、いざ挿入となると、やはり罪悪感のようなものがなくはない。特に生で入れる場合はそうだ。スキンをつけていると、いや、ペニスを入れたのはゴムの中であって、他の女のおまんこの中ではない、なんて変な理屈をつけることができるけど、生はそうはいかない。それに生だと、いろいろなリスクも伴う。

 もっとも、男の本音をいうと、そんな罪悪感も一瞬のことで、こんなおいしいチャンスは滅多にないぞ、しっかりと勃起しているうちに挿入を果たして、楽しまないと、という気持ちの方が強いかな (笑)。

 まあ、他の男のペニスを挿入される直前の女の気持ちも似たようなものだろう。しかし、決定的に違うのは、浮気においても、女の方が受け身である、ということだ。勃起を維持しつづけなければならない男と違って、女はじっと男の行為を待っていればいい。
 これには訳がある。自分からは何もしなかった、男の方が勝手に入れてきてしまった、悪いのは自分ではなく、強引な男の方だから、という言い訳が欲しいのだ。その複雑な気持ちを男は知っているだけに、女の気が変わらないうちに挿入を果たそうとする。

 とはいえ、女も他の男のペニスが膣に入り込んでくる瞬間というのは、罪悪感、背徳感でいっぱいになる。しかし、その感覚が強いほど、快感も比例して強いものになるので、男が腰を振ってペニスが動き出すや否や、すぐに快感の波に飲み込まれてしまう。
 そして気持ち良くなればなるほど、ふとまた背徳感がよぎる。他の男のペニスでこんなに気持ちよくなっている自分って・・・となる訳だ。そうして迎えるオーガズムの瞬間って、それは気持ちいいものだろうね。

 男が射精する瞬間も、女にとっては決定的な瞬間だ。浮気している男にとっては、射精は挿入の延長線上にある終点でしかない。しかし、女にとっては、最後にやってくる最大の背徳感が待っている。射精までいかず、途中で抜かれれば、セックスは 「未遂」 でなかったことにできる。しかし、射精までされると、たとえ自分はイケないくても、セックスの完了を意味するからだ。

 特に中出しされ、熱い精液が膣奥に広がっていくと、ああ、ついに他の男の精液を受け入れてしまったという罪悪感に襲われる。それがまた深い快感を呼ぶ。男がペニスを抜いて、膣口からこぼれ出る精液を見る時も、女は、改めて射精されたんだ、他の男の精液で汚されてしまったんだ、という背徳感に襲われる。

 男にとっての浮気は射精し、ペニスを抜いた時点で、終了する。浮気したことは、パートナーには黙っていれば分からない (と思うー笑)。ペニスに変化はないしね。
 いつもの女のおまんこに挿入する時も、別段、罪悪感や興奮はない。むしろ、もとのサヤに戻った感じで、ほっとする。せいぜい、償いの気持ちがあるとしたら、このおまんこを気持ちよくさせてあげないと、という気持ちになり、いつも以上に頑張ることかな。もっとも、玉も軽くなっていて、出る精液の量がいつもより少なくなるのを考えると、悪いかなとは思う。しかし、これはなんとか誤魔化せる (と思うー笑)。

 しかし女の場合は違う。特に浮気した男のペニスが大きいと、再びカレシのペニスを受け入れる時って、ドキドキするものだ。まず、大きなペニスによって膣が広がっていないだろうか、それによって浮気がばれないだろうか、という不安がよぎる。
 そしていよいよ入ってくるペニス。もう何回も受け入れていて、馴染んでいるハズなのに、なぜか新鮮な感覚になる。それは、カレシのペニスってどんなんだろうと、無意識のうちに浮気相手と比較してしまうからだ。膣の意識もいつも以上に敏感になる。
 そして 「違う!」 ということに気がつく。なにが違ううんだろう、とさらに膣への意識が高まり、膣内のペニスをなぞるようにしめつけてみる。

 そうとは知らないカレシは、いつものように腰を振ってくる。ここで、男によって腰の振り方まで違う、という新しい発見をする。しかし、自分を気持ち良くさせようと、一生懸命に腰を振ってくるカレシに対し、感謝の気持ちと同時に、改めて罪悪感が顔をもたげてくる。他の男のペニスがはいってきた膣に、今、カレシのペニスがはいっている。この背徳感が、また別な興奮を呼び起こし、いつもとは違う興奮に包まれる。
 そして、いつも以上に感じることが、せめてもの償いとばかり、この時のセックスって、女も燃えるものだ。ちょうど、浮気した男がいつも以上に頑張るようにね。




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