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女性のためのオーガズム教室

presented by ふしだらなペニス

「まだ女性を知らない清らかな若者」

 ある本を読んでいたら、童貞の少年を描写するに 「まだ女性を知らない清らかな若者」 という表現が出てきた。ううん、文学的といえば文学的だけど、なんかこれって、考えれば考えるほど現実離れしているし、それだけに何ともいえない卑猥さがある。
 処女のことをよく 「まだ汚れを知らない乙女」 などと表現するのと似ているけど、処女の方はまだ違和感もないし、卑猥さもない。

 確かに処女だと、オナニーをしていなければ、性的な快感も知らないし、男に抱かれて初めて、未知なる扉が開かれる、というイメージはある。しかも処女はその時はじめて、女としての体が男のけがわらしい欲望の対象であることを知るし、中出しされれば、男の性的欲望の結晶でもある精液によって、文字通り股間が汚されるわけだから、「まだ汚れを知らない乙女」 という表現はぴったりではある。美しい少女の体が、男の欲望によって汚されるということは、けがわらしさの根源は少女にはなく、男の側にある。

 しかし、男の場合はどうかな。処女のように、何も知らない美少年が性の手ほどきを受けるとしたら、精通前の子供でないとあり得ないだろう。現実には、子供でも異性の体に興味津々だし (これは少女にもいえなくはないが) 、精通は一定の年齢になれば勝手にやってくるし、夢精だってする。オナニーを覚えたら、もうまだ見ぬおまんこに思いをはせ、女を抱きたくてしょうがなくなる。中学生ぐらいになると、性欲もピークとなり、「清らかな少年」 とはほど遠い。

 まあ、百歩譲って、奥手で無垢な少年がいたとしよう。それでもこの表現が卑猥なのは、「女を知ると、清らかではなくなる」 という点だ。まるで処女が男に抱かれると汚れてしまうのと同じように、男も女を抱くと汚れてしまう、という発想が根底にある。
 そうだろうか。女の体は汚れているのか。女を抱いた男はそうは思わないし、自分が女を抱いたことによって汚れたとも思わない。むしろ、男としての自信を得るし、なんでもっと早くやらなかったんだろう、とさえ思う。

 このズレが卑猥さを生み出しているのだ。確かに、大人のおまんこって、決して綺麗なものではないかもしれない。だけど、その中にペニスを入れても、男は汚れるとは全く思わない。
 むしろ、「女を知らない」 ペニスを突っ込んでしまうと、あまりの気持ち良さに夢中で腰を振り、中で射精してしまう。そしてまた復活しては入れたくなる。

 そう、女を知ると、男はセックスというか、女の体の虜になってしまうのだ。もし、これを汚れというなら、汚れかもしれない。しかしそれは肉体的なものではない。性欲を満たすための性交というパンドラの箱を開けてしまったことからくる、精神的な汚れだ。この意味での汚れは、セックスでイクことを覚えた女にもあるけどね。

 もし男がこの汚れを回避したければ、一生、童貞でいて、オナニー三昧の生活をするしかないけど、これって、果たして 「清らか」 かな。あるいは、同性愛に走って、男のペニスをしゃぶったり、互いのお尻の穴を使ったりするのって、果たして 「清らか」 かな。

 ここにこそ、男と女の関係の複雑な関係が潜んでいそうだ。「清らかな乙女」 と 「性欲の塊の童貞」 という組み合わせが事実に近いと思うけど、これだと確かに夢はないかな。腐女子がボーイズ・ラブにあこがれるのも、分らないでもない。まあ、歴史的、文化的に作られたイメージと、現実とのギャップというのはよくあることだ。これがあるからこそ、またいろいろな悲喜劇が生じていいのかな。

 処女や童貞を 「汚れなきもの」 と表現しなかったら、生まれて初めてセックスをしても人生の転換点にはならないし、失うものもなくなってしまう。そうすると、ただ性交可能な年齢になったら誰かまわず交尾しまくるだけの、動物のような世界になってしまうかも知れないね。だからこそ、処女を 「まだ汚れを知らない乙女」 などと表現するんだろうね。 「まだ女性を知らない清らかな若者」 は、それと対になるように、後から作られた表現なのかな。



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    posted at 00:00 | セックスと男と女(男から) | CM(0)

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