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女性のためのオーガズム教室

presented by ふしだらなペニス

性教育で何を教えるべきか?(3)

 コンドームの着装の実習は、まあ、さまざまなペニスの模型と、複数のサイズのコンドーム、それと擬似精液によるコンドーム内の擬似射精、などによって、生身の人間を使わなくても、できなくはない。
 しかし、子供の作り方を教えるのではなく、避妊を教えること自体、生殖の為のセックスではなく、快楽の為のセックスを教えるということが前提になっている。この事自体に、問題はないのだろうか。

 言い訳としては、快楽の為のセックスを教えるつもりはないが、中学生ともなると、性欲の塊となるので、衝動的にセックスしてしまうこともあるだろう。その時に、妊娠することがないように、事前に避妊について教えておくのが目的である、ということもできよう。

 これは、ヒトという動物が、実際に社会的に子育てできる年齢よりも何年も先に、生殖能力の方が備わってしまう、という矛盾が生み出す問題でもある。寄り道になるが、この時間差はなぜ存在するのだろうか?答えはわからないが、一つ考えられるのは、セックスという行為への「準備期間」という意味あいがあるのではないかと思う。

 実際にセックスはできなくても、それを想像し、オナニーに耽る。これによって、セックスに対するイメージを膨らませ、その後のセックス・ライフを豊かにしているのではないかと思う。実際、このいわば準備期間に、オナニーもせず、肉体的な快楽やセックスに対して罪悪感のようなものをもってしまうと、成人してからも、豊かな(言い方を変えれば、スケベな)セックス・ライフを送れなくなる可能性がありそうだ。

 特に女性の場合、このことが言えそうだ。もっとも、女性の場合、出会う男によって、いくらでも開発され、その「遅れ」を取り戻すことは可能だけどね。そういう意味では、男の方がこの準備期間をどう過ごすかが、より大切になってくるとも言える。

 さて、本題に戻ろう。快楽の為のセックスを教えることの是非だが、結論を言うと、ヒトは快楽のためのセックスをする。これは否定しようがない。ならば、本来の性教育は、この快楽をどのように楽しむかを教えるべきではないだろうか?

 しかし、そうすると、また新たな問題が浮上する。それは、肉体的な快楽というのは、極めて個人的な体験であり、それをどこまで追求するか、は個人の問題だ。果たして、それを義務教育で教えるべきだろうか? 人生には、肉体的な快楽よりも、追求すべきことはいくらでもある。なのに、セックスの快楽を、まだセックスを経験していない子供に、まっさきに手取り足取り、教えるべきだろうか? 宗教的な理由から、禁欲的な人生をよしとする考えの人もいるだろう。言い換えれば、何も「寝た子を起こす」必要があるのだろうか、という問題だ。

 例えば、おいしい料理も一つの快楽だ。子供にセックスの快楽を教えることは、世の中には、こんなにおいしい料理があると、子供においしい料理をたくさん食べさせることに近い。これって、いいことだろうか。その後の人生でも、ずっとおいしいものを食べ続けることができればいいが、そうでなかったら、かえって不幸な事かも知れない。あるいは、その楽しみは、大人になってから味わうべきものとして、とっておく、という考えもあろう。

 しかも、セックスの場合、おいしい料理を食べるのと違って、年を取ってくると、徐々にできなくなるものだ。あるいは、自ら遠ざかっていく。だからこそ、若い時から教えるべきだ、という考えも成り立つことは成り立つけどね。人生には、「オナニーの季節」、「セックスの季節」というのがあるのも事実だ。



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    posted at 00:00 | セックスとモラル | CM(0)

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