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女性のためのオーガズム教室

presented by ふしだらなペニス

多くの異性と交わることの意味

 セックスって、肉体的な性器どうしの結合だけでなく、その女性 (もしくは男性) と互いに深いところで結びついていく行為だ。なぜそれをするかは、もちろん、表面的には性欲のなせる技だけど、どうもそれだけではないように思う。やはり、肉体的な快楽を超える何かがそこにあるような気がする。それって、性欲が本能であるのと同じで、はやり人としての本能だと思う。なので、処女や童貞で一生を終ると、一人の異性とも深い結びつきがないままに一生を終えてしまうことになる。これって、なんか悲しいものがある。

 もちろん、単にセックスするだけでは深い結びつきにはならない。互いに体と心を開き、快楽を与え合い、奪い合ってはじめて得られる境地に到達しないといけない。誰とのセックスであれ、射精というオーガズムが保障されている男と違い、女性の場合は特にオーガズムを与えられるセックスが大前提となる。イカせてもらえなければ、ある意味、肉体を男の快楽のために貸し出しているのと大差なくなる。

 そして女性の場合、与えられたオーガズムが深ければ深いほど、オーガズムの回数が多ければ多いほど、男性との結びつきも深くなる。精液や愛液、さらにはおしっこなど、互いの体液を体内に取り込む行為も、より絆を深めるものとなる。男は自分の精液を飲んでくれた女を忘れないように、女も自分のおしっこを飲んでくれた男を忘れないものだ。

 従って、職業的に男性に体を開く女性とか、AV男優などは、1000人を超える異性とセックスを繰り返していても、必ずしも深い結びつきにはならないと思う。時には、その過去が重荷となってしまう事もあるかも知れない。それほどまでに、セックスって、例え愛情がなくとも、体と心に記憶されるものなのだ。

 もちろん、男女の間の結びつきは、セックスの回数だけではないし、深いオーガズムだけでもない。最大の絆は子供を産むことであろうが、愛情や快楽を伴わない妊娠、出産もあることを考えると、オーガズムをともなうセックスはまた次元が違う世界のような気がする。

 この何かを求めて、男と女は体力と性欲が続く限り、セックスを求める。そのベクトルは、一人に向う場合もあるだろうが、往々にして、より多くの異性と体験してみたい、より多くの異性と深い結びつきになりたい、というベクトルに向うものだ。
 これって、果たして道徳的にいいことなのか、悪いことなのか?もしこれを本能とするなら、道徳的な判断をすること自体が、間違っていることになる。単なる好みの問題なのか、経済力や体力の関係に過ぎないのか?

 より多くの異性と結びつきたいという傾向は、特に男に強いような気がする。これって、どうやら生理的な男の性欲の強さからきているようだ。とりわけ、「英雄色を好む」 ではないが、力のある男は多くの女性とセックスする機会があり、多くの女性に種付けをする。セックスの強い男は、絶倫と呼ばれ、男女とも憧れの対象となる。

 対して、女性がより多くの男とのセックスを求めていくと、「淫乱」 とか、今の言葉では 「ビッチ」 と言われてしまう。これって、確かに不公平ではある。おそらく、文化的に女性を性的に閉じ込めてきたのかも知れない。
 だとすると、女性の性の 「解放」 は、女性も男性と同様、より多くの異性とのセックスを求めるようになるのかも知れない。少なくとも、そういう生き方を選択しても、非難されない時代がくるかも知れない。そんな時代になった時、男と女の関係はきっと今とは違ったものになることだけは確かな気がする。



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    posted at 00:00 | セックスとモラル | CM(0)

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