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女性のためのオーガズム教室

presented by ふしだらなペニス

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時間論とオーガズム

 最新の時間論によると、実は時間というのは複数ある、と言われている。時計が時を刻む絶対的な時間に対して、個人が感じる時間というのは、相対的なもので、環境や心理的な要因によって長くなったり、短くなったりする。これって、誰しも経験したことがあるだろう。

 また、二人で何らかの共同作業を行う場合、二人の間だけに流れる、不思議な時間というものが存在する。それは時計が刻む絶対的な時間でも、個人の主観的な時間とも違う。いわば二人がコミュニケーションをかわしながら、同調していく時間だ。これがうまくいかないと、コミュニケーション不全を起こしてしまう。

 共同作業をしている二人の間に流れる特異な時間の例として、社交ダンスや、ペアスケート、シンクロナイズド・スイム、行進、追いかけっこ、などが上げられている。動きがシンクロするというのは、二人の動きがただ機械的に一緒になるのではなく、微妙なズレを瞬間的に調整しながら、限りなく同調するようにと、修正し続けることであるという。 シンクロが美しくみえるのは、実は、この微妙なズレがあるからこそだろう。まったく同じでは、機械の動きを見ているようで、味気ない。

 こんな本を読んでいて、ふと思ったのが、男と女が二人で行う行為であるセックスにも、同じことがいえるのではないか、ということだ。
 そもそも、二人の波長というか、リズムが会わないと、会話もうまく噛み合わないばかりでなく、セックスもしっくりとこないものだ。挿入してスラストしていても、どこか一方的になり、二人で創造してなにか新しいものを創り出す、というようなものにはならない。結局、男が射精して終わり、というセックスになるが、これって、男女とも不満が残るものだ。

 対して、二人の波長がうまく一致すると、会話も弾むし、愛撫していても効果が手に取るように分かる。挿入してから、二人の心と体が同調しているのが互いに感知できる。それは互いが感じている快感を推測し、疑似体験していると言い換えてもいいかも知れない。
 焦らしプレーというのは、相手がどれだけ感じているのが分らなければ、本当の焦らしにならない。スローセックスが成立する条件も同じだ。互いに快感を感じ合っていなければ、ただの間延びしたセックスになってしまう。相手をいつ絶頂トラックに乗せるか、というもくろみも、互いが同調していて初めて可能となる。

 あるいは、意図せずして相手が絶頂トラックに乗ったというのを、感知できるのも、同調しているからこそ可能となる。こうなると、先に相手をイカせて、連続オーガズムに持ち込むこともできるし、射精の我慢が出来そうになかったら、同時オーガスムを目指すことになる。

 女が「イキそう」と男に告げるのも、言葉で同時オーガスムを求めているのだ。それに反応して、男も何とかそれまで射精を我慢しようとしたり、反対に射精モードに入ったりする。男が「イキそう」と女に告げるのも、同じだ。イクのをコントロールできる女の場合、自分がイキそうになっても、男の射精まで(お腹の力を抜いて)イクのを我慢し、男の射精に合せてその直後にオーガズムを迎える女もいる。 

 同時オーガスムって、確かに実際には、機械的な同調ではなく、どちらかがほんの一瞬だけど、先にイキ、もう一人が後追いするというものだ。ラストスパートをかけた男の激しい突きに、女が先にイってしまい、男も我慢していた射精を解除して、イッテいる女の膣内に射精する。あるいは、イッテ痙攣している膣の刺激で、思わず射精してしまうこともある。
 反対に、男が先にイキ、ペニスの膨張やドクドクという射精の動きに反応して、女が男に続いてイク、というパターンもある。生の中出しなら、膣奥に温かな精液がジワーっと広がる感覚で、イク女もいる。

 女としては、このパターンのオーガズムが最高かも知れないね。それは男も同じで、同時にイクよりも、相手がイッタのを確認した上で、まだ痙攣を繰り返してその余韻に浸っている膣に射精することほど、心身ともに興奮することはないね。 
もし、男が我慢しきれずに射精してしまい、女がもう少しでイキそうだと分ったら、男はまだ硬さを維持している間は、腰を振り続けて女をイカせようとする。たとえイケなくても、その優しさに女はジーンとなるものだ。

 全くの同時だと、自分のオーガズムに忙しくて、相手の気持ちまで察するのは難しい。しかし、先に相手がイクと、それをしっかりと感じ取り、その直後に自分もイクと、自分のオーガズムに専念できる。そして相手も、自分がイッタ余韻の中で、相手のオーガズムをしっかりと感じ取ることが出来る。

 こう考えると、同時オーガスムが感動的なのは、機械的な同調そのものにあるのではない。同時オーガスムになるようにと、男女とも自分のオーガズムのタイミングを調整して、相手がイキそうなのを見計らい、自らもオーガズムを迎えようとする、その相手を思う気持ちにある。

 二人のタイミングがぴったり合うと、何か共同作業がうまくいった達成感がある。しかし、どちらかが先にイッて、もう一人がすぐに後追いをするという同時オーガスムも、また何かかわいらしくていい。なぜなら、意図的な一致よりも、そのズレこそに、相手を思う気持ちが表われているからだ。




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    posted at 00:00 | オーガズムの本質 | CM(0)
脱力とオーガズム

 スポーツに限らず、筋力や体のパフォーマンスを最大限に発揮するためには、緊張は禁物だ。言い換えると、リラックス、あるいはさらに言えば脱力する必要がある。そうしながら、集中するのだ。緊張と集中は似て非なるものだし、リラックス(脱力)と集中は矛盾しない。言い換えると、最高のパフォーマンスのためには、脱力して集中すること、と言える。

 ところで、セックスもある種のパフォーマンスとすると、この原理が当てはまる。男もがちがちに緊張していたらスムーズで流れるような愛撫やセックスは出来ない。体もがちがちになっていると、しなやかな腰の動きもできない。
 受ける側の女も同様で、緊張していては気持ちよくないし、体に余計な力が入っていては、オーガズムに達することはできない。

 では、この原理と「中イキのためのFPメソッド」との関係はどうなっているのだろうか。「中イキのためのFPメソッド」では、膣口(言い換えればお尻の穴)に力を入れてすぼめるのではなく、下腹部に力を入れるだけでいい、と説いている。これって、矛盾しないのか、という疑問が出されそうだ。

 「中イキのためのFPメソッド」も、基本はリラックス、あるいは脱力が大事だと説いているつもりだ。最大のポイントは、膣口(お尻の穴)の脱力だ。では、下腹部に力を入れるというのは、どう説明されるのか。
 これは、意識の問題とも関連してくるけど、下腹部は自分から力を入れるのではなく、意識をそこに持っていくと、自然と力が入ってしまう、ということだと思う。あるいは、男のストロークによって、そこに意識、つまり力が溜まっていく、ということだと思う。

だからこそ、「お腹に力を入れて客を欺いた遊女のテク」【江戸艶本の世界】で書いたように、わざと自分からお腹に力を入れることによって、男に自分がイキそうだと欺くこともできたわけだ。そうでない場合は、イキそうになると自然とお腹に力が入るものなのだ。

 こう考えると、「中イキのためのFPメソッド」は、お腹に力を入れる、というのがポイントではなく、あくまで膣口(お尻の穴)の脱力にある、と言えよう。
 自分からいこうとはせず、敢えて脱力することによって、より強烈な快感が得られるということはよく言われることだ。なかば無理やりに挿入された女性が、ある段階で抵抗を止め、脱力した途端に、強烈な快感に襲われる、というのもそれに当る。あるいは、さんざんイカされた後、もう体に力が入らない状態で、さらに迎えるオーガズムが失神するほどの快感がある、というのも同じ現象だろう。

 実際、女性はイクまでの間は、お腹に力が入ってしまっても、イクと完全に全身が脱力状態となる。これはもう脳からの司令が全身に行き渡らない状態になっている証拠だ。
 一方、男の方は、射精に向けたラストスパートでは、全身の筋肉を使い、最後の射精の間もペニスを躍動させながら、精液を放出する。セックスにおける男のオーガズムは、脱力してはなかなか得られないのだ(夢精は完全に脱力した状態で起るこそ、気持ちいい。しかしこれはイカせる必要のある相手がいないからできることでもある)。

 男が完全に脱力状態になるのは、射精を終えて、女の上でぐったりとなった時だ。脱力した女の肉体の上に、脱力した男の肉体が被いかぶさる姿ほど、けだるくも美しいものはないかな。




    posted at 00:00 | オーガズムの本質 | CM(0)
体と性器とが分離する感覚

 セックスにはいろいろな情況やモードというのがある。愛し合っている二人が、全裸でベッドに横たわり、抱きしめ合ってキスをしているうちに、気が付いたら自然と互いの性器を重ね合わせている、なんてロマンチックなものから、セックスをすることだけを目的とした二人が、部屋に入るなり、互いの下半身を露出させていきなり挿入、なんて荒々しいのまである。腰の振り方も、前者が優しくゆっくりとしているのに対し、後者はいきなりエンジン全開で、射精するまでマックスの振り続ける、となる。

 このように、相手との関係や、愛情の有無、それまでのセックスの回数、性欲の強さと興奮度などによって、同じセックスでもその味はまるで違って来るものだ。
 愛情があって、全裸で抱き合っている場合って、精神的な満足感は高い。特に時間もたっぷりとある、いつものセックスだと安心感もある。反面、回数を重ねるごとに興奮度は低くなる。そのせいか、肉体的にも快感指数も必ずしも高くはならない。特に全裸で抱きあいながら、挿入し、キスをするとなると、一体感は高まるものの、快感そのものはかえって分散されてしまうようだ。

 対して、セックスだけを目的とした二人の場合、精神的な満足感は稀薄でも、興奮しているせいか、肉体的な快感が急激に上がるということがよく起る。会ったばかりの男に挿入され、強引に与えられる膣の快感が強烈なのは、経験した女性なら知っていることだ。 この時、何が起っているかというと、精神と肉体の分離だけでなく、肉体と性器とも分離しているということだ。女にとっては、男の体そのものよりも、膣に強烈な快感を与えてくれる男の性器そのものに意識がいく。自分をメチャメチャにしてくれる、硬くて熱い生殖器を愛おしく感じてしまうのだ。

 性器に意識が行くということは、他のことには意識がいかないということだ。つまり、全ての感覚が性器に集中する。それだけに、性器が生み出す快感に集中することになり、結果としていつも以上の快感を感じる、ということだ。そしてその性器から精液が噴射されたら、その精液そのものも愛おしく思えてしまう。おまんこの奧に出されたり、口で受け入れることに興奮し、もっと欲しくなってしまう。

 同じようなことは、実は男にも起る。会ったばかりの女に、生で挿入した時、いわゆる名器とよばれる女性だと、そのあまりの気持ち良さに、女の肉体全体や人格よりも、おまんこに意識が100%いってしまう感覚になる。「何これ!?」 という驚きと感動で、もう勝手に腰が動いてしまう。この時の快感って、男でも下半身が痺れてしまうような凄さで、当然、直ぐに射精してしまう。この時の快感ったら、もう頭を含め、全身に電気が通って痺れるような快感だ。

 こうしたことって、男も女も特に相手との恋愛感情がないときに起きやすいかな。肉体が感じる純粋な快感、いわゆる絶対快感というやつを得るには、必ずしも恋愛感情は必要ない。まず、精神と肉体とが分離している方が、こうした現象は起りやすい。次のステップとして、肉体と性器とが分離していることかな。

 女性って男よりも着衣性交を好む傾向があるけど、これって、肉体と性器とを物理的に分離させる方法でもあるからだ。「服を着たまま入れられてしまっている」 ことにMっ気を刺激され、そんな自分自身に酔うというのもあるけど、やはり物理的に互いの皮膚感覚を遮断することによって、性器に意識がいく、という効果の方が大きいだろう。

 目かくしての挿入も通常では得られない快感があるのも、同じ原理だ。たとえ全裸になっていても、視覚情報を遮断されてしまえば、意識は相手と接触している部分にしかいきようがない。この時、体を密着させずに性器だけを結合すれば、いやが上にも、意識は性器にいくわけだ。それだけに、性器から送られる快感も半端ない、というこだ。
 これって、何度もセックスしている関係でも、ちょっとした小道具で、普段とは違うセックスの興奮を味わう事ができるので、マンネリにはちょうどいいスパイスになる。




    posted at 00:00 | オーガズムの本質 | CM(0)
男女のオーガズムの本質的な差異

 男のオーガズムって、端的に言えば、精液がペニスの中の尿道を通過する時の気持ち良さだ。そして初めての精通は、体の成長とともに自然に訪れるものだ。多くは、手などの物理的な刺激によって精通が起る。年齢的には小学生高学年から中学生にかけてなので、ほとんどの男は初体験前に精通をすませることになる。そして、一度でもその快感を味わってしまうと、男はオナニストになっていく。

 つまり、男のオーガズムである射精は、何も膣内でしなくても、どこに出そうが十分に気持ちのいいものなのだ。夢精がまさにそうで、パンツの中に射精するだけでも、身震いするほど気持いい。もちろん、男としては、まだ見ぬ膣への挿入と射精を夢見るものだけど、じっさいに膣内に射精してみても、オナニーの何倍も気持ちがいいわけではない。膣内への射精は、物理的な快感よりも、むしろ精神的な満足感の方が高いかな。

 要するに、男のオーガズムというのは、子孫を残すための精液を男の体外に放出する行為で得られるのだ。理想は膣内への放出だけど、そうでなくても、強烈な快感はある。オナニーによる膣外への精液の放出は、生殖行為という点では、いわば「無駄打ち」になる。しかし、精液は大量に生産されるので、これぐらい、無駄ではないのだ。むしろ、本番にむけての予行演習、日々の訓練のようなものだ。

 では、女のオーガズムはどうか? これが男ほど単純ではないのだ。女も少女の頃からふとしたきっかけで性的な快感を覚えるようになる。その開始年齢は早い場合は幼稚園から、遅い場合は中学・高校ぐらいかな。精通年齢がほぼ同じ男に比べると、女のオナニー開始年齢には個人差が大きいと言うことだ。
 中には初潮前に性的な快感を知ってしまう女性もいる。男の精通が生殖行為と直結していることと比べると、女の中には生殖行為が可能となる何年も前から、性的な快感の存在を知ってしまう女性がいるということになる。

 もっとも、この時の快感はクリトリスへの刺激によってもたらされるものだ。なので厳密にいうと、初潮を迎えているか否かにかかわらず、クリから得られる快感って、生殖とは関係ないことになる。なぜならペニスの挿入がなくてもクリへの刺激だけでオーガズムを迎えることができてしまうからだ。この快感を知ると、女もオナニストになっていく。

 そしてセックスをするようになり、クリイキとは違う、膣イキという世界を知ると、女の快感レベルは一気に別次元となっていく。連続オーガズムやイキっぱなし状態というのは、膣イキで初めて味わえる世界だからだ。
 膣イキの快感は、普通は男のペニスの挿入によって得られるものだけど、実は膣イキと射精とは直接結びつかない。つまり、膣内射精は膣イキのための必要条件ではないのだ。女は射精を伴わない挿入でもイケる。バイブでイケるのがそのいい例だ。極言すれば、膣イキすら、女にとっては必ずしも生殖行為と結びつかないことがあるということだ。スキンをつけたペニスでも女はイケてしまうのだ。ちなみに、アナルセックスって、まったく生殖とは無関係な行為だけど、それでも男女とも深い快感がある。神様はなんでこんなところにも、快感のプレゼントをしたんだろうなと思う。

 しかし、一度でも中出しを経験してしまうと、女にとってのより深いオーガズムは、生の挿入と中出しのセックスにあることを知る。つまり、男に膣奧に射精されることによって、より深いオーガズムを得ることができる、ということを知る。この段階になって初めて、女のオーガズムも生殖行為と結びついてくることになる。
 男も中出しするとなると、妊娠のことが頭をよぎるが、小作りセックスでもない限り、妊娠させることを意識して生挿入、中出しをする男はいない。男は射精の快感を味わうために膣に入れるだけだ。そして生の方が格段に気持ちいいので、生で入れたがる。その結果、中出しとなるだけだ。

 女の体もペニスを膣に入れられると気持ちよくなるようにできている。しかも生で入れられ、中出しされるとさらなる快感の世界が待っている。しかし、その結果というか、代償として射精され、妊娠の可能性が生まれる。ある意味、無責任になりえる男と違い、女にとって快楽と生殖とが結びついてくるのは宿命的でもある。
 女が男以上にセックスに慎重になる訳はここにあるし、逆に、その 「危険な味」 を知ると、のめり込むのも女だ。世の中には妊娠のリスクを快感に変換する女がいる。男にも、妊娠させる興奮がなくはないけど、自分の体でその結果を確認することはできない。あくまで女の言葉を信じるしかないので、妊娠するか否かの緊張感は、女の方が何倍も上だ。

このように、女の快感レベルって、段階的なのだ。このステップを一歩一歩、踏んだ女だけが、深い 「女の悦び」 を知ることが出来るのだ。男にはこうした段階がないのだ。精通したら、あとは精液が出なくなるまで、無駄打ちを含めて、精液を体外に放出するだけだ。そして射精の快感も、射精を繰り返すことによって感度が上がっていくどころか、むしろ低下すらしていく。

 男女ともに、究極的には、生殖行為によって得られるオーガズムだけど、男と女ではこのように、快楽の覚え方も段階も違うのだ。こうした男女の差は大きな意味を持っている。生殖行為と快楽とが密接に結びついているのは女だと思いがちだけど、実は逆なのだ。男は精通とともに快楽の世界を知るが、精液が出なくなると、オーガズムを得ることもできなくなる。つまり男の快楽は最初から最後まで、生殖行為と結びついているのだ。

 しかし女は、生殖行為とオーガズムとが分離しているのだ。ペニスを受け入れなくてもクリによりオーガズムを得ることができるし、それは初潮前でも可能なのだ。そして閉経後でも、クリによるオーガズムを得ることが可能だし、ペニスを受け入れてもオーガズムを得ることもできる。「女は灰になるまで女だ」 とは、よく言ったものだと思う。




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