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女性のためのオーガズム教室

presented by ふしだらなペニス

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男の人が上で一生懸命に動いてくれると嬉しくなる女

 男と女にとって、セックスって、やはり違いがあるものだと思う。別段、Mでなくても、女は基本的に受け身なので、いろいろな違いはそこから生まれるのかな。もっとも、女が受け身だからといって、ただじっとして男を受け入れている訳ではない。そこは冷静に、男の動きなどをしっかりと観察もしているのだ。女の自我が飛ぶのは、男にイカされる瞬間だけかな。


 女が感じ取っているのは、いろいろとあるが、膣の中のペニス(大きさや硬さ、形など)の他には、男の腰の動かし方だ。がむしゃらに動いているのか、それとも慣れた腰使いなのかは、すぐに分るものだ。
 こなれた腰の動きをされると、「やだ、この人、うまい」って思うようだ。だからといって、女の不思議なところは、「私の前に、いろいろな女と遊んできたんだろうな」「いろんなおまんこに入れてきて、鍛えられたんだろうな」などとは思わないようだ。それらは全て、自分のおまんこにたどり着くまでの練習過程に過ぎす、最後は自分を気持ちよくさせてくれれば、それでいいのだ。

 反対に、がむしゃらなのも、それなりに嬉しいものらしい。特に、童貞の少年のように、必死になっているのを感じると、急にその男がかわいく見えてくるらしい。童貞でなくても、いい大人ががむしゃらに動かしてくると、「よっぽど女に飢えていたのかな」などと、母性本能がくすぐられるようだ。

 そんな女性のコメントに、「男の人が私の上で一生懸命に腰を振ってくれるのって、すごく嬉しい」というのがあった。そうか、女性はそう感じるんだ、としみじみ思ったものだ。というのも、腰を振っている男は、女性をイカせようという気持ちもあることはあるが、半分は自分の快楽の為に腰を振っている部分もある。
 しかし、それも含めて、一生懸命に腰を振られると、女はそれを自分への愛情と受けとるんだろうね。あるいは、一夜限りのセックスの場合、愛情とまでいかなくても、自分の体に興奮してくれる、というのは女として嬉しいものなのだ。

 これはバックの場合も同じで、男の顔は見えなくても、激しく動いてくれているというのは分るものだ。それに滴る汗がお尻や背中に落ちてくるのも分るしね。確かに、男の側から言っても、疲れを厭わず、射精を我慢し、激しく腰を振るのは、その女が好きで、気に入っていないと出来ないことではあるけどね。そうでなければ、さっさと自分勝手に腰を振って、射精してしまうからだ。

 思うに、この反対ってないのだ。つまり、女性上位になって、上に乗っている女に激しく腰を振られても、男は「嬉しい」とは決して思わない。最初の内は、欲望を解放している女をいじらしく思うけど、さらにそれがエスカレートしていくと、色っぽいというよりも、恐ろしくなってくる。増してや、何度も射精させられ、精液を搾り取られると、恐怖でしかない。

 ここが男と女の大きな違いかな。やはり、セックスって、オスが激しく腰を振ることによって、メスが深い快楽を得るようになっているのだと思う。この逆は、オスにとっては、予期していない事態なのだ。まあ、真性のM男となると、それがまたいいんだろうけど、動物界にMなオスって、いるのかな。




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    posted at 00:00 | セックスと男と女 | CM(0)
馴染んだ体 VS 初めての体

 一人の女性 (女性からみれば男性) と何回もセックスを繰り返していると、徐々に体が馴染んでくるものだ。最初の数回はまだ互いに探り合いの状態が続くけど、50回もセックスをすれば、明らかに最初のころのセックスとは違う境地に達しているのが分る。
 体が馴染むとは、文字通り、膣とペニスの相性がしっくりとしてくるということがコアにあるかな。特に大きなペニスの場合、女性の膣がその大きさに慣れてきて、痛みよりも快感の方が上回るようになってくる。そして何よりも、中イキを体験すると、女にとってそのペニスはオーガズムを与えてくれる特別な存在となる。

 男の側からは、別に慣れたからと言って膣を 「緩く感じる」 ということはないが、入れた時の感触をペニスが記憶する、ということはある。入口のきつさや深さなどの形状のほか、生であれば粘膜の感触なども覚えるものだ。たとえ目隠しして入れても、「あっ、これはいつも入れている膣だ」 というのが分る。特に久しぶりだと、懐かしい思いもあるし、いつでも温かく受け入れてくれる母港に戻った感じかな。

 それにセックスを繰り返していくと、女性も中イキを経験するようになる。男の場合は最初から射精があるので、女をイカせることができた、という精神的な満足感は加わっても、膣そのものが特別な存在となる、というような変化はない。
 もっとも、女性が中イキできるようになると、男のペニスも、イク直前の膣の痙攣とか、子宮が降りてくる現象とか、さらにはバルーン現象も体験するようになるし、イッタあとの間歇的な痙攣なども味わえるようになる。男の快感レベルは変わらないけど、女の快感レベルはセックスすればするほど、高まってくる。これだけは、セックスを繰り返した馴染んだ女性でないと味わえない世界かな。

 慣れてくるのはこうした互いの生殖器だけではない。相手の快感ポイントというか、弱点も分ってくる。どこをどれだけ刺激すればいつイクか、予測が立てられる。それだけに、攻めるにしても余裕が生まれ、それが安心感となって出てくる。ガツガツしなくなってくる。さまざまな焦らしができるのも、馴染んできてからだ。また、相手の体調や感度の状態もすぐ分るので、それにあわせてプレーをその場で調整することもできる。

 何をされたらイヤで、何をされたら嬉しいかなどの性癖も分ってくるので、精神的な満足感も安定してくる。もっとも、これは逆に言うと、マンネリになってしまうというリスクもある。好奇心旺盛なカップルであれば、毎回、新しいテクや体位に挑戦していくものだ。愛撫や体位のバリエーションも豊富となる。要は、体が馴染んでくると、セックスもよりバリエーションが増え、フェチっぽいプレーに走ることも可能となる。この方向性は、どちらかがストップをかけるまで、エスカレートしてしまうものだ。

 いつになったら飽きがくるのかな、と思いながらも、同じ体と繰り返すセックス。やりながら、「我ながらよくやるな」 とも思ってしまう。ある意味、「好き者」 でないとできないかな。新しい味ではなく、慣れ親しんだ味を繰り返し味わうのも悪くはない。それに、何年もセックスを繰り返していると、互いに年を取っていくことによる変化も互いの体に記憶されている。いつも接していると変化は分りにくいものだが、時間をおいて接してみると、その変化に気が付くということはよくあることだ。

 対して、初めての体というのは、まだよく分らないので、互いに手探り状態となる。全身で相手のことを知ろうと、センサーが働く。それだけに緊張感はあるし、興奮もする。期待以上にうまくいった時には、新鮮な感動もあるし、新たな出会いに感謝したい気持ちになる。反対に、うまくいかないこともあるし、そうなると、期待外れとなってしまう。二回目はないかな、と思うし、最悪、セックスしなければよかった、なんてなってしまう。そうすると、よかれと思ってやったこと全てが無駄となってしまう。こんな時は、やはり馴染んだ体がいいな、と思ってしまう。
  
 もっとも、それも経験だと思えば、悪いことでもない。そしてまた次の出会いを求める。何よりも新しい相手とセックスするというのは、単純に経験人数が増えていくわけで、何となく得をした気分にはなる。そして経験に裏打ちされた技術は磨かれるだろう。実際、学んでいくことも多い。
 しかしこれも程度問題で、一定量を超えると、皆同じにみえてくるものだ。これ以上数を増やしてもなにか新しい発見はあるのかと思う。そんなことで時間を浪費しているよりは、相性のいい女性とのセックスを繰り返し、その体を徹底的に愛して上げることの方が得るものが大きいのでは、と思うこともある。

 一生に一人の女(あるいは男)しか知らない男もいれば、相当数の女性(あるいは男)とセックスをする男もいる。ポリシーとして一人だけでいいと貫く人もいれば、できるだけ沢山の人と経験してみたい、と考えている人もいる。多くの人は、その間のどこかで、いったり来たりしているのではないだろうか。

 男の僕からみると、基本的に男は後者の方、つまりできるものなら生きている間にできるだけ多くの女性と経験してみたい、と思うものだ。実際にそれを実現するか否かは別として。対して、女性の場合は、男ほど数をこなしたいとは思わないのではないかな。女の場合、男を求めるのは、セックスの快楽だけでなく、受精し子供を育てるということがあるからかな。子供を生むためだったら、何十人もの男と経験する必要はない。それに数が増えると、それなりにリスクも増えるしね。

 しかしだ、そうした女性の中にも、純粋な肉体的な快楽に目覚める女性もいる。いろいな男と経験してみると、ペニスの大きさや形だけでなく、腰の振り方まで違う。それぞれの男に固有の味があることを知る。こうなると、いろいと試してみたくなる。10代の若い時にこれにはまってしまう女性もいれば、30代、40代の女盛りの頃に突然、目覚めしまう女性もいる。こうなると、女性の方が「セックス依存症」になりやすい。
 男がいくら本能として多くの女性とセックスしたくても、体力や財力がないとできないし、そもそも毎日、射精しつづけることはできない。それに年齢とともに性欲も低下していく。

 男も女も、馴染んだ体の味わいを知っているし、同時に新しい体がもたらす興奮も知っている。しかし、どうやら男の方が新しい体を求めるものだけど、年齢とともに、それも下火になっていく。対して女性は、二つのパターンがあるように思う。若い時に、新しい体の味をさんざん味わったあと、結婚して落ち着くタイプと、若い時は馴染んだ体で満足していたけど、年齢を重ねるに従って、女でいるうちにいろいろな男の体を味わっておきたい、というタイプとだ。まあ、現実には女性の場合もこの二つの間を、いったり来たりしているのだろうね。




    posted at 00:00 | セックスと男と女 | CM(0)
「まだ女性を知らない清らかな若者」

 ある本を読んでいたら、童貞の少年を描写するに 「まだ女性を知らない清らかな若者」 という表現が出てきた。ううん、文学的といえば文学的だけど、なんかこれって、考えれば考えるほど現実離れしているし、それだけに何ともいえない卑猥さがある。
 処女のことをよく 「まだ汚れを知らない乙女」 などと表現するのと似ているけど、処女の方はまだ違和感もないし、卑猥さもない。

 確かに処女だと、オナニーをしていなければ、性的な快感も知らないし、男に抱かれて初めて、未知なる扉が開かれる、というイメージはある。しかも処女はその時はじめて、女としての体が男のけがわらしい欲望の対象であることを知るし、中出しされれば、男の性的欲望の結晶でもある精液によって、文字通り股間が汚されるわけだから、「まだ汚れを知らない乙女」 という表現はぴったりではある。美しい少女の体が、男の欲望によって汚されるということは、けがわらしさの根源は少女にはなく、男の側にある。

 しかし、男の場合はどうかな。処女のように、何も知らない美少年が性の手ほどきを受けるとしたら、精通前の子供でないとあり得ないだろう。現実には、子供でも異性の体に興味津々だし (これは少女にもいえなくはないが) 、精通は一定の年齢になれば勝手にやってくるし、夢精だってする。オナニーを覚えたら、もうまだ見ぬおまんこに思いをはせ、女を抱きたくてしょうがなくなる。中学生ぐらいになると、性欲もピークとなり、「清らかな少年」 とはほど遠い。

 まあ、百歩譲って、奥手で無垢な少年がいたとしよう。それでもこの表現が卑猥なのは、「女を知ると、清らかではなくなる」 という点だ。まるで処女が男に抱かれると汚れてしまうのと同じように、男も女を抱くと汚れてしまう、という発想が根底にある。
 そうだろうか。女の体は汚れているのか。女を抱いた男はそうは思わないし、自分が女を抱いたことによって汚れたとも思わない。むしろ、男としての自信を得るし、なんでもっと早くやらなかったんだろう、とさえ思う。

 このズレが卑猥さを生み出しているのだ。確かに、大人のおまんこって、決して綺麗なものではないかもしれない。だけど、その中にペニスを入れても、男は汚れるとは全く思わない。
 むしろ、「女を知らない」 ペニスを突っ込んでしまうと、あまりの気持ち良さに夢中で腰を振り、中で射精してしまう。そしてまた復活しては入れたくなる。

 そう、女を知ると、男はセックスというか、女の体の虜になってしまうのだ。もし、これを汚れというなら、汚れかもしれない。しかしそれは肉体的なものではない。性欲を満たすための性交というパンドラの箱を開けてしまったことからくる、精神的な汚れだ。この意味での汚れは、セックスでイクことを覚えた女にもあるけどね。

 もし男がこの汚れを回避したければ、一生、童貞でいて、オナニー三昧の生活をするしかないけど、これって、果たして 「清らか」 かな。あるいは、同性愛に走って、男のペニスをしゃぶったり、互いのお尻の穴を使ったりするのって、果たして 「清らか」 かな。

 ここにこそ、男と女の関係の複雑な関係が潜んでいそうだ。「清らかな乙女」 と 「性欲の塊の童貞」 という組み合わせが事実に近いと思うけど、これだと確かに夢はないかな。腐女子がボーイズ・ラブにあこがれるのも、分らないでもない。まあ、歴史的、文化的に作られたイメージと、現実とのギャップというのはよくあることだ。これがあるからこそ、またいろいろな悲喜劇が生じていいのかな。

 処女や童貞を 「汚れなきもの」 と表現しなかったら、生まれて初めてセックスをしても人生の転換点にはならないし、失うものもなくなってしまう。そうすると、ただ性交可能な年齢になったら誰かまわず交尾しまくるだけの、動物のような世界になってしまうかも知れないね。だからこそ、処女を 「まだ汚れを知らない乙女」 などと表現するんだろうね。 「まだ女性を知らない清らかな若者」 は、それと対になるように、後から作られた表現なのかな。




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男女の体格差とセックスの味

 セックスって必ず相手がいることなので、どうしても相手との間に体格に差が生じてしまう。個人差のみならず、基本的に男と女がするものなので、男女差というものもある。さらに、セックスというのは、意図的な着衣性交を別にすれば、全裸になってするものなので、なおさら体格の違いというのがでてきてしまう。

 ここでいう体格とは、単に背丈だけではない。大柄か小柄かの他に、骨格ががっちりしているのか、細めかという違いもある。さらに男の場合は、体格だけでなく鍛えた筋肉があるかないかの違いもある。女の場合には、お尻の大きさ、ウエストのくびれ具合、そしておっぱいの大きさと張りもある。

 男からみた場合、男の背丈や体格にもよるが、基本的には自分よりも一回りか二回り小さめ体格の女性の方が相性はいいかな。絵的にも、何をして男が攻めている感じになる。さらに小柄な女性、あるいはロリ体型の女性となると、なんか少女を相手にしているような背徳感が出てくるかな。

 反対に自分と同じ体格の女性だと、気持ち的には何をやっても攻めている感覚にはならず、全身を使ってなんとか対応している、という一杯一杯の感じになる。座位や騎乗位も迫力が出てくるし、駅弁となると、よほど男が体を鍛えていない限り、持ち上げるのは難しくなる。さらに、男よりも体格がいい女性だと、まるで逆レイプされているかのような感じになる。

 同じことは女性にもいえて、自分よりも体格のいい男に正常位で覆い被されると、逃げ場もなく、被征服感はいやが上でも増す。男の体格と自分の体格とが同じぐらいでも、女の方が強いイメージになるかな。
 反対に自分よりも小柄な男だと、正常値で突かれても余裕だし、女性上位になれば、まるで逆レイプしているかのような感覚になる。

 このように、相手との体格の違いによって、実はセックスの味って、大きく変わってくるものだ。もっとも、その違いを体感するには、いろいろな体格の相手とセックスをしてみないと分らないものだ。この点でも、数をこなすというのは、いろいろな経験をし、世界を広げていくことにはなるかな。しかし、ベストは、自分にぴったりの体格の相手にはやく巡り会うことかな。




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