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女性のためのオーガズム教室

presented by ふしだらなペニス

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何故ヒトは衣服で性器を隠すようになったのか?

 ヒトが何故、衣服を着るようになったのかは、大きな謎である。体毛が退化して防寒の為とか、衣服によって性差や階層などの社会性を示すためというのは、後から生まれた効果でしかない。思うに、衣服の最小単位はやはり下着であろう。それも女性のブラは後になって産まれたもので、当初は、男女とも、股間の生殖器を覆い隠すものであったと考えられる。

 この点に、衣服を着るようになった謎が隠されているように思う。恥ずかしい性器を隠す為というのも、下着で隠すようになってから産まれた感覚だったと思う。それ以前には、性器を恥ずかしいという思うこともなかったであろう。では、何故、恥ずかしい訳でもない性器を隠すようになったのか?

 それは服を脱がしていき、最後に下着を取り去る時のドキドキ感がヒントとなる。自分一人で脱いでいても、それほどのドキドキ感はない。風呂に入る度にドキドキはしない。ヒトが下着を脱ぐ段になってドキドキするのは、あくまで異性の前である。つまり、セックスをしようとして、下着を脱ぎ、性器を露わにする時だけ、ドキドキする。それは男女とも同じだ。そして普段は隠されている互いの性器に性的な興奮を覚える。もっというと、欲情する。性器にはそうした力があるのだ。そして、セックスが終わったら、しばらくは欲情しないように、また性器を下着で被う。

 では、なぜ、普段は下着で隠しているのか。それは発情期がなくなったヒトの場合、通常モードとセックスモードとを明確に区分けする必要が生じたのだと思う。そうしないと、しょっちゅう、発情しっぱなしとなってしまう。下着をつけるか否かは、モードの切り替えを意味するようになった。

 この切り替えは、また別な効果を生み出した。それは、普段、隠されているだけに、セックス・モードに入った時に、下着を脱がすという行為によって、興奮がより高まるという効果だ。さらには、セックスできないにしても、下着を脱がして、性器を見てみたい、という気持ちを起こさせるようになった。この欲望を満たすためのヌードやポルノが生まれたのだ。あるいは、下着フェチという世界を生み出した。その多くは男が女の汚れた下着に関心を示すというものだ。

 逆に女の場合、自ら下着を脱ぐという行為は、たとえ男の前でなくても、セックス・モードへの転換を意味する。わざとノーパンになってスカートを履いて外に出る女は、「いつでも挿入OK」 という状態に、性的に興奮しているのだ。野外オナニーで全裸になってしまうのも同じことだ。

 セックスが終わって、のろのろと下着をまとい、性器を覆い隠す行為は、「ここまで」 というモードの切り替えをしていることになる。女性が下着をつける姿に男がよく発情してしまうのは、通常モードへの転換に未練を感じるからだ。射精したにもかかわらず、もう少し、セックス・モードでいたい、という思いだ。それほどに、下着を脱ぐ、身につけるという行為は、男女にとってセックスの始まりと終わりを暗示するエロい行為となるのだ。子孫を残すための交尾から、快楽を楽しむセックスへの転換は、下着で性器を覆い隠すことから始まったともいえよう。衣服はその延長線上のことに過ぎない。




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裸族

12.13.2017
裸族

 部屋の中にいるときには、服を脱ぎさって、全裸で過ごす人のことを、「裸族」 と呼ぶらしい。昔は、こういう意味での 「裸族」 という使い方がなかったことを考えると、最近は 「裸族」 が増えてきているということだろうか。考えてみれば、僕も夏の期間限定だけど、ずっと 「裸族」 だったかもしれない。

 夏は暑くて当然、むしろその暑さが夏らしくて好きだったし、エアコンをガンガンかけるのも好きではないので、当然、夏の間は薄着か、思い切って全裸になってしまいがちだ。一度、経験すると分かるけど、薄着と全裸とでは、まるで解放感が違う。肉体的な開放感も凄いが、素の自分に戻れるような精神的な解放感もある。できればこのまま外に出たいぐらいだけど、さすがにそれはまずいので我慢しているけど、ベランダぐらいなら、ちょくちょく出てしまう。まして夜ならね。

 「裸族」 という言葉が使われるようになる以前から、「全裸生活」をしている人はいたようだ。本物の 「全裸生活」 者は、夏だけでなく、冬の間も全裸で過ごす。暖房をいれれば、日本の家ならこれは可能だ。全裸生活を決意した人は、後戻りできないように、下着や服さえも思い切って処分してしまう。しかし、さすがに全裸で外にでると、近所の目もあるし、公然猥褻となってしまうので、実際に全裸生活を貫くのは日本では無理だ。

 「全裸生活」 を試みる人には、なぜか女性が多い。おそらく、女性の方が全裸になった時の解放感が男以上にあるからだろうね。それに、女性だと限りなく全裸に近い薄着でも、男の視線を浴びるだけで、男の露出狂のように警察沙汰になることも少ない。
 もっとも、「全裸生活」を するような女性は、露出の快感も味わっているだけでなく、知らない男に 「視姦」 され、時にはセックスされてしまうことも受け入れるという、真性のMであることが多い。

 しかし、こうした女性はそういるものではないし、長く続けることは難しい。なので、家の中だけの 「裸族」 が一番、安全だし、長く楽しむこともできる。一年中だとメリハリがつかないので、夏の間だけの期間限定というのがいいかな。

 不思議なもので、一日中、ずっと裸でいると、全裸でいる方が自然で、外に出るときに服を着るのが不自然に思えてくる。全裸そのものに、あまりイヤらしさは感じなくなってくるのだ。時に卑猥さが出るとしたら、女の乳首や男のペニスが勃起した時だけかな。そんな時だけ、キスしたり、裸で抱き合ったり、軽く挿入して合体するというのも楽しいものだ。

 部屋に戻ったら、すぐに服を脱いで全裸になるのが、本当の 「裸族」 だろうけど、きっかけは、お風呂でもいいし、セックスでもいい。そのあと、服を着ないで、ずっと全裸で過ごす、というのが自然な流れかな。なので、早く「裸族」になりたかったら、部屋に戻るなり、直ぐにお風呂に入るか、セックスを始めることかな。




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鏡張りのラブ・ホテルが消えたわけ

 一昔前のラブ・ホテルって、凝った照明はもちろん、「回転ベッド」 や天井まで 「鏡張り」 のホテルがあったりしたものだ。多少、ごてごてはしていたけど、それはそれで、いかにも 「セックスするための部屋」 という感じで、非日常世界に入り込むには理解できる演出だった。

 「回転ベッドって、一体どんなの?」 と、見たこともない人には想像もつかないだろう。これは、文字通り、ベッドが丸くて、ベッド下のモーターでベッドがゆっくりと回転していく、という仕掛けになっている。「何のために回転させるの?」 と聞かれそうだ。確かに、考えてみれば変な仕掛けだけど、ベッドが回転することによって、横の鏡に、セックスしている二人の姿がいろいろな角度から見えたからかな。

 回転ベッド意外にも、順和風で、まるで大奥のような作りの部屋があったり、屋形船のようなベッドもあったものだ。
 こんなセックス専用のホテルなんて、世界に例がなく、日本が誇る?性文化の一つであった。回転ベッドはともかくとして、鏡張りの部屋でのセックスって、確かに興奮する。 【体験談ー大きなペニスがいいの】 の中の 「鏡張りのラブホテル」 を読んでもらえれば、その雰囲気が分かると思う。

 ところが、近年のラブ・ホテルって、まるでシティー・ホテルのように、すっきりとしていて、オシャレになってきた。けばけばしい部屋が多かった時代には、すっきりとした部屋が逆に新鮮だったけど、こうした部屋ばかりになると、普通のホテルとなんら変わらなくなってきている。
 昔の面影が残っているとすれば、凝った照明と大きめのお風呂かな。あとは、枕元にご親切にも、コンドーム (それも標準サイズ) が置いてあることかな。店によっては、二つも置いてあるとこともある。

 どうして、こてこてとしたラブ・ホテルが消えていったのかな、と不思議に思っていたら、どうやらこれには行政の指導が関係していたようだ。
 回転ベッドの流行は1970年代で、東京では名の通った 「目黒エンペラー」 というラブ・ホテルが最初に設置して、全国に普及していったとのこと。
 ところが、1984年の風営法改正で、回転ベッドや、1平方メートル以上の大きな鏡などがある施設は 「ラブホテル」 (店舗型性風俗特殊営業) と定義され、18歳未満の利用や、学校や公園、病院周辺での営業が禁止された。このため、警察の監督下に入ることを嫌った経営者の多くが、部屋から回転ベッドや大きな鏡を撤去し、旅館業法 (厚労省管轄) 上の 「旅館」 として届け出ることとなった。
 
 日本のラブ・ホテルから鏡張りの部屋が急速に消えていったのは、これが理由だった。それにしても、こういうところまで、法律で規制しているというわけだ。まあ、日本は法治国家だからね。
 その後、2011年になって、再び風営法が改正され、ラブ・ホテルの定義が拡大されたため、多くのホテルが再び、ラブ・ホテルとして届け出ることになった。この年、法律が改正された背景には、実質的にはラブ・ホテルなのに、一般のホテルを装う 「偽装ラブホテル」 が横行していたため、現実的な対応に切り替えたという訳だ。

 数は少なくなってきたけど、今でも地方都市なんかに行くと、回転ベッドや鏡張りの部屋があるラブ・ホテルが残っている。こうしたラブ・ホテルは、今でも厚生省ではなく、警察の指導に基づいて営業されているとのこと。昭和の匂いがプンプンするこうしたラブ・ホテルも、たまには懐かしくていいかも。

 しかし、こうしたホテルも、若い世代には敬遠され、やがて消える運命にあるんだろうね。それでも、ラブ・ホテルそのものが日本から消えることは、日本の住宅事情からして、考えられない。これからも、シティー・ホテルとは違った、卑猥さ、非日常性を感じられるような、新しいスタイルのラブ・ホテルが作り出されていくことだろう。




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女の方がセックスを見られて興奮する訳

 誰かにセックスしているところを見られてしまうのって、偶然であっても、複数プレーであっても、興奮するものだ。しかしどちらかというと、男よりも女の方が、その興奮度は高いようだ。どうしてこうした差が生まれるのか? ここにも、セックスにおける男と女の違いが隠されているような気がする。

 男の場合、セックスにおいては基本的に能動的にならざるを得ない。積極的に仕掛けてくる痴女やS壌でもない限り、多くの女性は程度の差こそあれ、基本的に男からみたら、「まぐろ」 状態だ。だから男がリードしていかなければならない。このため、どうしても男は、セックスしている間も、多少の意識や自我が残ってしまう。そうでないと、絶妙なタイミングでの挿入や、相手をイカせるまで射精を我慢したスラストなどできない。
 男が唯一、我を忘れるのは、絶頂トラックに乗ってから、射精するまでのラスト・スパートをかけている時かな。しかし、これも射精という行為が終わってしまうと、急に我に返ってしまう。

 二人だけでセックスしている時でも、男は女以上にセックスに没頭できないものだ。ましてや、他の人に見られながらとなると、よけいに自我を意識してしまう。特に、見ているのが男だと、無意識のうちに防衛本能が働く。
 挿入して腰を振っている時って、背後を見せるので、危険な状態だ。相手に何をされるかわからない。たとえ危害を加えられなくても、引き離されて女を取られるかも知れない。

 しかし、基本的にセックスで受け身である女は、うまい男が相手だと、セックスに没頭できる。しかも快感の度合いは男と段違いなので、100パーセント、その世界に入りやすい。この状態で、セックスしているところを誰かに見られると、これがさらに興奮材料となって、強烈な快感となる。おそらく、肉体的な快感に加えて、精神的な羞恥心や開き直りが、100パーセントの快感にさらなる上積みをするのだろう。
 こうした異次元の快感を味わってしまうと、ちょっとしたクセになってしまうかもしれない。それほどまでに、普段のセックスでは味わえない強烈な快感ということだろう。

 しかしこうした機会って、そうあるものではない。そこまでいかなくても、これに近い興奮を女性は時々味わっている。それは露出だ。女は、男と違って、人前で裸になるだけで興奮してしまうものだ。だからこそ、部分露出や、全裸露出という羞恥プレーが成り立つ。男にも「露出狂」がいなくいはないが、男が見せたいのは、全裸姿というよりは、あくまで勃起したペニスを見せたいだけだ。

 男よりも、女の方がヌード写真を撮られることに抵抗がないのもこのためだ。というか、むしろ女の方が、裸になることにある種の快感を覚える。その延長として、ハメ撮りにも興奮するし、気軽にAVにも出演して、カメラの前で本気でイキまくってしまうのだろう。素人の女性が本気でイキまくっている一方で、男優の方は、プロであれ素人であれ、意外と冷静にセックスという行為をしているものだ。
 こうしてみると、肉体的な快感も女の方が強烈だけど、羞恥プレーなどの精神的な 「快感増幅装置」 も、女の方が格段に効く、ということがいえそうだ。




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