FC2ブログ

女性のためのオーガズム教室

presented by ふしだらなペニス

このページ内の記事タイトルリスト

春画に描かれている巨根は女のため?

 春画に描かれているペニスがおしなべて現実離れした大きさの巨根であることについては、古来、諸説があるし、このサイトでも自説を含め、いくつかの説を紹介してきた。東京で開かれた春画展に行ってみて、実際の春画を目のあたりにしてみると、また新たな考えが思いついた。
 それは、端的に言えば、巨根に描かれているのは、春画を見る女のためではないかな、ということだ。春画展には多くの女性が見に来ていた。若い女性もいれば、年配の女性もいる。

 春画をポルノと捉えるなら、なんとなくイメージとしては春画は男が見るもの、あるいは少なくとも男と女が一緒にみるもの、というのがある。もちろん、春画は嫁入り前の娘に対する性教育の意味もあったことから、当時から女性も見たいたことは間違いない。しかし、展覧会という公共の場で、男たちに混じって多くの女性らが見に来ていた現実を目のあたりにすると、やはり春画は男だけのものではなく、間違いなく女のためでもあった、という思いを新たにした。

 一緒に春画展を見に行った女性は、春画の絵師は皆男なわけだから、巨根に描いているのは男の見栄なんじゃないかな、というようなことを言っていた。まあ、当初の動機にはそれも含まれていたことは否定はできないだろうけど、作品群が増え、市場に流通するようになってくると、客の半分である女の視線というのも意識しだしたのではないかな、と思う。
 巨根願望は男にもあるが、それは女性にもある。処女は別として、ある程度セックスを経験し、イクことも覚え、ペニスの味を知っている女性なら、巨根願望が全くないとは言えない。常日頃から巨根を求め、思い巡らしているとは言わない。しかし、少なくとも、普段、自分が受け入れているペニスよりも大きなものを目にしたら、興味が出てくることは否定できないだろう。

 ではただの巨根ではなく、あり得ないほどの大きさの巨根に描かれているのはどのように説明したらいいのか。作品によっては、着物や調度品は恐ろしく丁寧に詳細に描かれている。つまりリアリティーがありありだ。ところが唯一、全くリアリティーが全くないのが、巨根であり、巨大な割れ目だ。もちろん、ペニスや割れ目の表情は実にリアリティーがある。ここで言っているのは、あくまでその大きさだ。この一点によって、絵師は、これは写実的に描いているようで、実はお遊びですよ、と言っているのだと思う。

 つまり、ペニスをあり得ないほどの巨根に、そしてそれに対応した大きな割れ目を描くことによって、春画は見る者を、架空の異次元の世界へと誘う。そしてそれは男も女も同じだ。これが春画を見る際の、最初の約束事だ。ちょっとやばいセックス体験談の冒頭に、「これはフィクションです」 と断るようなものだ。

 だからこそ、男は巨根に描かれている登場人物の男に嫉妬することもないし、自分の持物に自信を失うこともない。同様に、女も巨大に描かれた割れ目と自分のものとを比較することもない。はじめからフィクションの世界であれば、何でも自由だ。効果を上げるためには、ペニスを巨大に描くのも自由だ。大きな割れ目はそれに対応したものであると思う。大きな割れ目を描きたかったために、その結果として巨根になったのではないと思う。つまり、はじめに巨根ありきだ。

 しかし、春画では、性器のなかで一つだけ、リアルに描いているのがある。それは女性のおっぱいだ。これも好きなようにデフォルメすることもできたのに、しなかった。まあ、身体の見た目のバランスも崩れてしまうが、おそらく、見る者の視線が拡散してしまうからであろう。じっくりと見て欲しいのはあくまで巨根とそれを受け入れる割れ目だ。なお、男色のシーンで、巨根を入れられる稚児のお尻もリアルに描かれている。まあ、これもバランスの問題もあろうが、幼い男の子の小さなお尻に入れるから興奮するのであって、これを巨根に対応させる必要はなかったからであろう。

 春画をポルノとして見た場合、ペニスは小さいものよりも、巨根の方が見る者も興奮する。それは今のポルノを考えれば、たやすく理解できる。AVであれば、男優のペニスが標準的か、それよりも小さければ、短小の男性は自信を持つかも知れないけど、多くの女性は興ざめすることだろう。逆に、巨根の男優だと、「凄い!」 となる。そして女優がその巨根で 「ヒイヒイ」 言わされているのを見ると、女性を自分に置き換えて、その巨根を受け入れている自分を想像する。それは、見ている男も同じだ。

 こうした説の傍証となるのが、春画に登場する 「張り型(今で言うディルド)」 も、あり得ない大きさに描かれていることだ。そして女性らは競ってより大きなものを求めようとし、それを入れてみようとする。これも現代のディルドを考えれば、たやすく理解できる。高いお金を出してわざわざ買うなら、標準的な大きさのものより、少し大きめの物にトライしたくなる。その方が奥まで届くだろうし、より気持ちいいんだろうな、と期待するからだ。

 こうしてみると、春画において男のペニスが巨大に描かれているのは、男の見栄というよりも、春画を見る女を興奮させ、楽しませるためにだと思う。快楽の世界というのは、ある意味、日常から離れた世界だ。そうした非日常の世界へ飛び立つには、あり得ないほどの巨根ほど効果的なものはない。




スポンサーサイト
[PR]

    posted at 00:00 | 江戸艶本の世界 | CM(0)
春画の 「正しい」 見方

 東京の永青文庫で開かれている春画展に行ってみた。2年前にロンドンの大英博物館で開催された春画展を、日本でも開催しようとしたけど、いろいろと交渉しても会場の提供を受けられず、最後は、永青文庫の理事長である細川護煕元首相の一声で開催にこぎ着けることができたという。春画の部分的な展示はあっても、今回のような本格的な展示会は日本でも初めてのことだという。海外で開かれて、本家の日本で開くことができないなんて。しかも時代も変り、日本でも印刷物としては、無修正のカラー版が出版され、書店の店頭に並んでいるというのに、実物の展示会を開くことができないなんて、おかしな話だ。

 さて、春画展、会期前半の展示を見逃してしまったので、終了までには見ておこうと、足を運んだ。やはり本物の迫力は違うね、今まで、印刷された複製は見てきていたし、本も集めているけど、本物はそれらとは色合いや紙の質感が違う。概して、複製されたものは色が濃くて、和紙に染みこんだ色刷りの淡い色調が出ていない。本物の方が数倍も美しい。

 それに今回は、普段親しんでいる版画だけではく、一点物である肉筆や、豆版なども展示されていて、初めて目にするものも多かった。それもそのはずで、大英博物館や国際日本文化研究センター、東洋文庫などが所蔵するもののほか、個人蔵のコレクションも展示されているからだ。欲を言えば、巻物などはワンカットだけでなく、全ての絵を見たいところだ。見応えもあったし、販売している図録も充実している。まだ見ていない人はお勧めだ。東京のあとは、京都で開催とのことなので、見逃した人はもう一度、チャンスがあるけど。

 混んでいるというので、平日の昼真に行ったのだけど、いやすごい人だ。それもそのはず、二ヶ月半で14万人も来場したという。週末だと、外に長い列ができそうだ。会場も決して広くはないので、展示室の混みようは相当のものだ。展示物には満足だけど、あれだけの人混みに揉まれて春画を見るというのには、ちょっと違和感があるかな。

 来場者は、どちらかというと年配の男性が多い。もっと若い女性やカップルが多いかと予想していたので、意外な感じだ。若い時に実物を見ることができなかった世代だからかな、その鬱憤を晴らすかのように、絵に見入っている。まだあっちの方は「現役」なのかしらん、と思わせるようなご年配の人に囲まれて、江戸の粋な男たちがセックスしている姿を 「鑑賞」 するというのは、なんとも居心地が悪い。

 さすがに女性は、一人で来ている人は少なく、女性どうし連れ添って来ているけど、やはり年齢的には中年女性が多かったかな。雰囲気としては国語か美術の先生といったところ。多くの男に囲まれているせいもあるだろうけど、女性客もかしこまって、これは 「芸術」 なんだ、という神妙な顔をして鑑賞している。これにも少し、違和感を感じてしまった。だって、見ているのは性器を剥き出しにしてあわれもない体位でセックスしている絵なんだけど。しかも稚児を相手にしていのもあれば、覗きや3p、4pなんてのもある。

 若い学生風の女性連れも全くいないわけではない。春画のからくりなんかが分かると、「これ、超うける!」 とか言って、笑いながら通り過ぎていく。周囲の 「芸術」 を鑑賞している人々の顰蹙を買いながら。しかし、思うにこちらの方が 「正しい」 春画の見方、楽しみ方だと思うけどな。

 僕は女性と見に行ったけど、正直、春画を見ながら、いろいろと話をしたかった。例えば、男の陰毛にこびりついている白い体液がリアルに描かれた春画があった。それを見ながら、
「あれ愛液かな、精液かな?」
「愛液じゃないの?」
「多くの解説ではそうなっているけど、精液の可能性もあるよ。だって、愛液は透明のはずだから」
「愛液でも、擦れると白く濁るじゃん」
「確かに。もし精液だとしたら抜かずの二発を描いているのかな?」
などという会話を楽しみながら見たいものだ。しかしあの人混みではとても無理だ。あるいは、
「どれが面白かった?袋法師は凄かったね。今でいう、壁からペニス状態だものね」
「私的には、すのこの下からあれを出して、上から女性が順番待ちしているのも面白かった」なんて会話を楽しみたいものだ。
 あるいは、「こんど、あの体位、試してみない?」 「こんど、ゆかたを着て、あんな感じでやってみない?」 という会話をしながら。

 春画は、枕絵とも、笑本ともいう。確かに、ユーモラスなものも多いけど、「枕絵」 の如く、本来は寝床でこっそりと見るものだ。男だけ、女だけならオナニーのネタになっただろうし、カップルならそれが刺激となっていろいろな趣向をこらしたセックスを始めることだろう。春画とは本来、そういうものだ。無理に「芸術作品」として真面目な顔をして見るものではない。もちろん、一流の絵師が書いたものの中には、芸術性の極めて高いものもある。しかし、所詮は遊びで書いた春画だ。見る方もそう見たいものだ。

 まあ、そうした 「ストレス」 を解消すべく、家に戻ってからは、図録を開きながら、誰はばかることなく、大声で春画論に花を咲かせたけど。そして脳裏に残る春画のイメージを思い浮かべながら、激しくも濃厚なセックスを楽しませてもらった。




    posted at 12:00 | 江戸艶本の世界 | CM(0)
お腹に力を入れて客を欺いた遊女のテク

 江戸時代の性愛技術に関しては、『江戸の性愛術』(渡辺信一郎著、新潮選書) が詳しくて、参考になる。この中で、FPメソッドと関連のあるテクニックがあるので、紹介したい。それは遊女に対して、「まら巧者」(セックスに長けた男の客) に、どう対処したらいいか、を教えている部分に、関連するテクが書かれている。
 
 一日に何人もの客をとる遊女にとって、毎回、オーガズムに達していては体がもたない。客が童貞みたいに直ぐに射精してくれれば、簡単だが、セックスに慣れた男だと、なかなか射精せず、長時間のスラストをされるし、うっかり男のペースに乗せられると、オーガズムに達してしまう。

 そんな時に、どうやって自分がイクのを押さえ、男を早く射精させるか、というのを指南している。セックスでイケない女には、もったいないテクだけど、これって、逆に言うと、イクための参考にもなる。

 まず、自分がイカないためには、挿入されたまま、大きく3~4回、深呼吸し、腹の空気を全部出して、息を止める。そして、女の両足の指先を上に立ててふんばる。こうすると、イキにくくなり、愛液も出ないのだという。
 続くテクは、相手に自分がイキそうだと思わせるテクだ。つまり、イキそうになった振りをするにはどうしたらいいか、を説いている。なぜこれが有効かというと、女がイキそうになると、男もそろそろかなと思い、瞬時に射精モードに切り替わるからだ。
 どのように、イキそうな振りをするかというと、両手で男の背中強く押して男の腹を女の腹に密着させる。と同時に、女も腹に力を蓄えて、強く踏ん張り、腹を硬くする。そして嘘をついて、 「もう、イク」 と嬌声を上げると、男も射精してしまう、というものだ。

 前半は、イカないためのテクなので、逆にいうと、イクためには、この逆をすればいい、ということになる。まず、息を出し切るというのは、わざと力が入らないようにしている。力を入れる時って、息を出し切ってはだめで、息を溜めているか、息を出しながらが、最も力が入るものだ。
 女の両足の指先を上に立ててふんばるというのも、力を抜く動作だ。ポイントは、指先を上に立てる、という点だ。これをまっすぐに伸ばすと、指先から脚を経て、下半身まで力が入る。女がオナニーでオーガズムに達する時って、両足に力が入るものだけど、よく見ると、足の指は真っ直ぐに伸びるものだ。
 これらから、イクためには、お腹に息を溜めて力を入れ、指先も伸ばすように両脚から下腹部にかけて力を入れる、ということだ。

 後半は、イキそうなふりだ。ということは、本当にイク時には、こうした動きになる、ということだ。即ち、男のお腹と女のお腹を密着させたうえで、女がお腹に力を入れて、腹を硬くするというのは、本当にイク場合の、直前の動作だ。
 ところで、これこそが、FPメソッドのコアになる方法だ。つまり、膣口を締めるのではなく、お腹に力を入れる、という方法と全く同じだ。

 女がお腹に力を入れると、どうなるか。はっきりと分るほど、膣内が収縮や痙攣をするわけでない。むしろ膣全体が外に押し出される感じで、男としてもペニスをしっかりと奧に差し込んでいないと、外に押し出されそうになる。

 女慣れした男は、女がただ 「イクイク」 と叫んでも、膣内の微妙な変化で、嘘かホントかが分る。しかし、女のお腹に力が入り、膣内が外側に押し出されそうになると、慣れた男なら、女がオーガズムを迎える直前の状態になった、と思う。言い換えると、絶頂トラックに乗ったかのようにみえる。それでいて女に色っぽく 「イクイク」 なんて言われると、 「ああ、ここまでくれば、もう射精しても、ちょうど同時オーガズムのタイミングかな」 と判断して、射精のスイッチが入ってしまうのだ。

 この時、女が息を全部出した上で、お腹に力を入れる、というのがポイントかな。肺の中に息がなければ、お腹に力を入れても、本当の力は入らない。もし、息を溜めた状態でお腹に力を入れると、快感が倍増して、本気でイッテしまいかねない。女としては、ギリギリのところで、イク振りをしていることになる。いやはや、なかなか高度なテクニックだね。さすが、プロとしか言いようがないね。

 おそらく、男が射精した直後に、女が腹の力を抜くと、膣全体が内側に戻りながら、軽く収縮するので、慣れた男でも、女が本当にイッタ、と思い続けるだろう。プロの遊女なんだから、男にイッタ振りを見破られては困るしね。もっとも、本当に慣れた男で、馴染んだ男なら、 「おっと、今回は女に一杯くわされてしまった」 と悟るかもしれない。しかし、それが遊びというもので、とやかく言う男などいない。それに男としては相手を本気でイカせられなかっただけで、自分は射精という快感を味わっているしね。

 イク時には、無意識のうちに、肺に空気が溜まった状態で息が止まり、お腹に力が入る。江戸時代の遊女と、その相手をする男は、こうした基本的な原理を知っていたからこそ、その裏をかくことも可能だった訳だ。




    posted at 12:00 | 江戸艶本の世界 | CM(0)
プロフィール

Author:ふしだらなペニス(FP)のプロフィールは「読者の皆様へ」をお読みください。

最新記事
最新コメント
カテゴリ

QRコード

QR

現在の閲覧者数: